何が何でも自分のことを知りたい!
そう思っていた頃のわたし。

でも、それは我でしかなく、
それを追求しても何もない。
自分のことを知ることはできない、と
わかった頃のわたし。

そういうことをしている最中に
自我と自己の探求をすることに決めました。

その意味は特にないのですが、
ただ人の思いは普通のものとは違い、
両親からの思いや俯瞰する自分を創った自分の意志や、
または本当にバカバカしい過去と未来を創造するために
していたとしか思えない他者からのマインドコントロール。

それらが一致団結して自分の我や己を作っているという事実。

さあ、どうする?というと、
結果、すごくいい自分の方を伸ばしすかない、、、という考えと
そうじゃなくって人と自分の差を確認して、
一体何が正しい人としての在り方何かを探る方法と
2つしかないことにも気が付く。

あ~あ、バカバカしい!と思う反面、
でも、そうしないと自分は行きつく所に行きつかないという
場の調整でもしなければ何かを変えることはできないという
変な思いにかられ、そこから次々と自分らしさを求めた。

まあ、変なものだけれども
じゃんじゃん必要とすることにたどり着くには
案外外と中の物に対する遮断も必要。

遮断とは、ある意味上手な自分を認めるための
一時的な安息の場を作ること。

まあ、一体何がどうなってるの?と
混乱した時は必ずそういう時を持つといいのかも
しれないが、わたしの場合はその時間が長かった。

そう、自由というものに対するケアがあるとしたら、
わたしはそのケアをまだ行っている。

わたしが人生で求めたものは自由。

そして、その自由は、ほとんど叶えられていない。
まだ。そしてこれからもないと思う。

ましてやこんな風に自分のしてきたことを確認するようじゃ
何も生まれない。

でも、今日はそんな気分。