毎日が素晴らしいと思う日々のなかにあって
さまざまな問題や不快な感性はある。
ただ、そこをどう感じないようにしていくかは、
人それぞれ。

わたしはまず朝には
太陽に向かって〝おはよう☀〟と言い、
今日はどんな1日かな?と思う。
そして、自分にとっての新しい今日の考えを聞く。

大切なことは、
太陽と月と地球と一緒に
物事を実行することなので、
その意志を確認する。

まあ、これは数秒のこと。

ところで、

今までの鍼灸の考えや
医学的見地(とは言っても常識の範囲内)は、
わたしにはあまり意味がなく、
まずは精神を安定させ、
心理もは片付けてから、
脳にはある程度答えがあるかな?と
思いながら過ごす日々の後、

すべては自分の考え次第だから
それって生まれ持った角度や世界観があるはず!
といった不足感のない自分がいるはずだよね、
と思った。

かつその秘訣は自分に答えがあるから
そこを見つけるだけ🎶と思った
前々からの「体」に関する考えのわたし。

じゃあ、答えはどこにある?
と探した月日。

結果、脳には指針がある。
指針はどこにある?
指針は、なあに?
窓のようなものを持って
自然界とつながるといいの?

などなど、果てしない質問攻めの自分。

が、ひょっとして自分は
そんな質問に答えてくれるかも?
と思いついた時から
脳との対話を始めた。

よかったと思う。

が、決してその経緯は
簡単ではなかった。

脳は脳でも
新しいことを教えてくれないと
質問には答えられないから、
新しいことを知る脳を探した。

あった!

それはそれは見事に先を知る脳があった。

たまたまの発見かな?なんて感じたけれども、
そうではなく、いつも親切に教えてくれた。

だから、そこにはある意味情報の回路を
作るといいと思った。

そうすると、誰でも使えるから。

でも、それは案外無駄なことだった。

愛には制限があり、
それがあるからこそ
愛は素晴らしい。

でも、そこを超えて愛に対する
楽しさがなくなった時、
自分には生きる意味がないと思うように、
人への配慮には限界がある。

だから、そこをしつこく
〝知るといいから!〟
と伝えるのはおかしい。

と、今朝は思う。

なぜか?

その答えを知る1日かな。