普段の生活の中にあるものは
自分にとってはあまりにも自然で
かつしっかりしあわせを感じることもなく
淡々とした日々の中の1コマとして存在する。

でも、昨日は違った。

ちょうど整体の途中、
美しい景色を眺めていて、
あ~あ、こんな風情のある風景を求めていたなあ。。。と
なんだかとても懐かしくなった。

それって、あまり感じたこともなく、
さらにはそういう気持ちを持つことに
抵抗さえあったのかもしれない。

共に生きる地球の再生が
自分の生活の中で一番であって、
それ以外のことはせつないことも楽しいことも
一切のことは特別ではなく
あまりにも強い意志を貫いていたのかもしれない。

この意志とは何だろう?
たまに意志の元は我であると思うこともあり、
または本当に必要とする自分の思いかもしれないと思う。

それを貫くという時に感じる
誰に何を言われても追及する自分の思いの強さ。

この強さは、誰にもあると思う。
それをするか、しないかは、その人に任されている。

面倒だな。。。とか、
不安がある。。。とか、

そういうことを優先すると
何もかもがオジャンになると思う。
それは意志薄弱というよりも
恐怖によってもたらす自由のない自分を生きる決意をしているから。

その決意はいつどこで誰に誘われてしたのかな?

わたしはそういう決意をしたことはない。。。かな?

ある時、わたしは夢中で自分がしたいことをしようと思った。
17歳のころ。

そして、それは現実になった。
嬉しい!
楽しい!
世界は自分中心だあ!!!!
なあんって思った。

でも、それは一時的なことであり、
人はそれを維持することができるかどうかは定かではない。
でも、その自分の一度っきりかもしれない
本当の意味での自由を感じたそこには
ある設定をしたものとみなす脳があるように思う。

わたしは、いつもその日のことを思い出す。
やったね!と思ったその時のこと。
それからずっとそこに意志を持つことが
何よりもすばらしいと思う自分が今もここにいる。

この意志は、大脳と大脳新皮質だったのかもしれない。
なぜなら、できるはずのないことが実現したから。
その意味は、ずっと大きくなるまでわからなかった。
誰でもやればできることだと思っていた。
でも、その活力やその思いの強さは
どこから来るのかわからないが、
実際に自分の中から湧いてくる意志というか
思いというか、それは誰にもわからない本当の気持ち。

その気持ちは今は大脳と大脳新皮質と松果体をつないだ
「センター」を動かすことがそれを見つけることだと
そう思う。

だから、わたしはセンターが好き。
いつもセンターにいたい。
センターは、微細なエネルギーにも似た
でも、エネルギーだけではない脳との関係を持って
これまでの自分の知識と知恵と体験などを交えたもの
すべてを使って生きるコツを教えてくれる。

わたしの中はすでにセンターによる解決だけではない
魂の救いや疲労した角度の問題の解体、
それから次々と起こるであろう悲壮感や不安などに対する
共振なども振り捨てるだけのツールがあると思う。

なぜなら、これまで自分のことをずっと扱ってきたから。

もうこれでいい!はいつまでもないと思うが、
でも、この辺でおしまい!というのは
あってもいいかもしれない。

というのは、そろそろ2019年も終わる。
その時にまだ迷いや惑いなどを振り捨てるためのケア法の構築を
しているとした場合、わたしはずっと振り捨てることにのみ
特化した自分の脳の使い方をするから。

もうそろそろ終わりにするっか♡