好きなこと

わたしには好きなことがある。
それは指針のようなものなのかもしれない。

指針が好きというより、
しっかりとした自分に出会いたいと
ずっと思っていた。

小学生のころ。
中学生のころ。
高校生のころ。
そして、大人になる前の学生のころ。

そして、ずっと思っていた。

わたしは何かしあわせの鍵を持っているんだ!と。

それって何かなあ?

よくわからない。

でも、それっていうのは
自然発生的に不自然な形ではなく
ある日突然に湧いてくる自分の直感のようなものだと
気が付いていた。

あれ?と思うこともあるが、
でも、そうそう!そう思っていたんだよね!
という気持ちになる直感と現実の統合があった。

わたしは、それをとても得意に思っていた。

例えば、
学校でのテストがあるとすでに問題がわかっていたかのように
前日の夜に勉強したところが出るとか。

実はそこしか知らないのに、
テストってそれで多くのことを判断するので、
いかにもわたしは優秀な自分のように
見られていたし、自分もそうふるまったように思う。

ちょっと、おとぼけって感じ。

まあ、いろいろな所に
直感のようなものは生きていた。

それはサイキックとは言えないものだった。
見えないものを見ているというより、
ただわかる。。。そんな感じだった。

割りとそれで生きてきたように思う。

ある時、その「ただわかる」というしくみを
知りたいと熱望した。

大切なことはそこだと思った。

そして、それは指針のようなものと思ったこともあった。
でも、違った。

指針というのは、マインドと似たようなもので、
自分が大切にしているものを
自分に明言しておいて、
それを自分の行動や判断の基準にすること何かを言う。

大切なことは指針じゃないとしたら、
じゃあ、なんだろう?と思うようになった。

不思議なことは続いていったし、
不思議なことはさらに思い通りになった。

もちろんそうじゃないこともあったが、
でも、大体本筋においては思い通りだったような気がする。
そして、こう思うことが多かった。
思い通りに行かない時はストップのサインだから
ただ方向転換をする時だという理解して動いた。

だから、思い通りという時のわたしは
方向転換をすることも含んでいたように思う。

そこからわたしは「ただわかる」ことについて
考えてみた。

ある日突然に降ってくるような言葉や
瞑想もしないのにただ歩いている時に
ふと浮かんでくるイメージ。
明瞭ではないため画像のようではない。

でも、あ!そうだ!!!と思うと、
それが実現していく現状。

それをわたしはなんと説明していいか
わからない。

わたしにはそういう能力があるとも思わない。
だって、当たり前のこと。
普通にわかるから。

その「普通にわかる」はどうしたら
もっと自由にいつでも自分がしたいことを
明確にしたい時に「普通にわかる」のか?を
究明してみた。

その結果は脳だった。

脳はとてもいい調子の時と
そうでない時の差があって、
ある意味、浄化を必要とする人と対面したり、
そんな場所に行ったりすると
脳は不調になることも知った。

脳に聞いてみた。

ねえ、、、どうして今日は不調なの?と。

すると、脳は言うではないか!

だって、感情を使っているから
脳は動きにくいだけだよ!と。

そうっかあ。。。

脳の不調は感情かあ。。。と思った。
そして、感情を脳から排出する方法を見つけようと思った。
それは指針のようなマインドのようなものを
しっかり持つことで、自分の正義のようなものに
支えられる自分を作ること!という認識を持ったこともある。

でも、そこじゃなかった。

ある意味、脳に聞いてみた時、
感情を使っているから、という言葉だったので
その言葉に注目してみようと思った。

えっ?感情ってなあに?

すると感情は言った。
それは自分の疲労した観念のようなもの、だと。

えっ?観念?

聞いたこともないことだった。
観念が感情を作るって?

でも、そうかもしれない。
自分が観念を持っていないなら
感情はわかないのかもしれない。

とすると観念とは何か?を知るといいと思った。

そうして、観念とは自意識とも言うし、
自意識と言わない場合は自我とか自己とかだと
わかった。

そうして、自我や自己って何だろう?という追及が
始まった。

わたしはこうして自分の大好きな自分を
知るためにいつも訂正し続けていた。
自分を。

そうして、それは人間のシステムとして
すばらしい喜びが根底にはあるという事実を
しっかり知っているからできることだった。

それは生涯をかけてやっていくことにしたいと
思っていた。

が、しかし、そんなことはもう必要がないかもしれない。
なぜならば、人は人を大きく動かしているのが
観念ならば、観念の開放の仕方さえわかれば
後は問題がないから。

問題は単純だった。

人との距離を短くすること。
それは人を喜びから観ること。
喜びを自分の感情にすること。

これが「しあわせの鍵」なのかと思う。
それがあれば「普通にわかる」のだとも思う。

そう。その「しあわせの鍵」は
大脳と大脳新皮質と松果体をセットにして
それを自分のセンターにし、
そのセンターにいる自分を作り上げること。

これからどうなっていくのかが楽しみ💛

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