普通でいい 普通がいい

人を好きになりたいと思う人にとって
相手のことがわかることって
すごく必要なことと感じているみたい。

ん~、そうかな~。。。

それって自分を信じていないから。
それは自尊心を持つ尊い自分を
支えたいから。

そんなこと、
する必要があるのかなあ。。。

もっとスムーズに自分を感じ、
自分にとって必要とする場面を多くするといい。

迷いや惑いは、くすぶる火事の原因。

じゃあ、迷いや惑いはどんな自分を
感じているのかなあ。。。?

よくわからない!と思うことを
ついつい疲労度100パーセントで
感じることによる淋しさの原点。

それは、自分の力以上のことをしている時。

やめましょう。

人生を謳歌するかどうかは別として、
人間生活の基本を学ぶ姿勢をなくしたとき、
人は知らないことを知ることによる
排出行為を始める。

それは曖昧な自分をなくすためではなくて、
不信感をなくす作業をしているようなもの。

食べ物でいうと、
食べ物を消化するために
たくさん食べた後に
ゆっくりお茶を飲むとか、

ある程度の決心が必要な時には
甘いものを食べるとか、

必死で生きるコツを知ろうとした時には
真ん中にあるエネルギーを動かすとか、

するといいことがある。

もし、エネルギーを動かすのは相当キツイと思うなら、
それは別人の自分を演じるとき。

別人の自分とは
マイナーな思いを一緒に使おうとする自分。

そんなことはいらない。

まっすぐに歩いていくといい。

まっすぐに歩くというのは、
ただただ信じる道を歩くのと似ているけど、
でも、違う。

まっすぐに歩くという姿勢。

その姿勢の中には問題はない。
でも、問題と感じることはある。

だったら、そこに終了をさせるといい。

人生を謳歌することは
楽しさや憂鬱さを限界まで感じることではなくて
ただただ生きることをよしとするといい。

上手に行きようとか、
腐敗した問題を確認しようとか、
そういったことはいらない。

ただ自然な動きに身を任せるといい。

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