朝は来ない、、、なんてことはない
うまく言えないけど、普遍的な事はもういいような気がする。
疑いと言うものが人間の中にあって、それが骨に浸透していた場合、骨の浄化が必要だとわかるけれども、それまでに大切な自分の細胞の破壊を起こしているとしたらそれはどうしたらいいんだろう?
まるで自信のない自分と、自信たっぷりの自分と、あの時相互関係を持つ。その時にふとした時に悲しみが襲う。その悲しみはなんだろう?
自分のことが大好きだと言う気持ちと、それに反抗したい自分と、バランスをとっていこうよと言う自分と、その3つの戦いなのかもしれない。
わたしがわたしを好きでいたいと言うその気持ちは全て間脳にある。でも間脳は体のコントロールをしてくれはするけれども全体を見てくれない。だからわたしは間脳に体を預けたくない。その元に大脳があり、その元に大脳新皮質があるなら、わたしは大脳新皮質に自分を預けたい。