写真:こちらにいらしている方にお化粧していただきました!(”あ~あ、恥ずかしい💦”顔)

「今ここで生きる」ということをハッキリ決めている人は
どれくらいいるのだろうか?

わたしも割と信じられないくらいに
のほほんと生きているのかもしれない。

そう思うと、きっぱりとした自分になりたいなと思う。

そうだ!あの人にこれを伝えたい!と思うその気持ち。

それは丹田にある問題解決のためのこともあるし、
妄想のこともあるし、
マイルドな自分を表現したいだけのこともある。

それはとても危険な自分。
なぜなら自分は本当に必要なことを知っているので
そこを伝えるといいだけ。

でも、その指針が曖昧だと困る。

指針は、
いつも機嫌のいい人を創りたいのか、
または
本当に必要なことを知らせたいのか、
または
普通に生きるコツを教えたいのか、
または
今生の生き方について学びを深めたいのか、

それを知るといいような気がする。

ため語で話す若い人たちの多くは、
生きるということについて考えることもなく、
自然な発想はみんな誰もが持つものであり、
だから人は年齢を重ねてもそうでなくても同じ!
という考えがあるのかもしれない。

だから、人間万歳!と叫ぶような気持ちではないと思う。
でも、それでいい。
それが若い人の考えだから。

もっと言うと、人は人としての役割を持つ。

わたしは自分を自分らしくあれ!と思うことはない。
自分というのはいつも常に変化していいと思っている。
だからこそ、ケアによる変化が起こるし、
だからこそ、人は愛を謳うために生きることだけがいいとは限らず、
ある一種独特なにおいのする感覚もあっていい。

そうなると、今のわたしはどんな役割があるのか?
それを確認する今日の1日。

わたしにはいつも確認したいことがあった。
でも、それがなくなろうとしている。

なぜなら、変な意志や意識の統合などについて
何もわからなくてよい状況になっていると思うから。

その意味は、今日の夜にはわかるような気がする。