自分のしあわせについて考えてみたいです。まるで時間が止まるようなときを過ごす時の至福感は誰でも感じたことは一度くらいはあるかと思います。いかがですか?

わたしの場合は、過去において手術を受けた時にも感じましたし、また出産の時、それから1人で時間を過ごすことができるある一瞬のさわやかな風を感じた時など、まるで表層意識の中のある一点に怒られることがなかったかのような真実を求めるなどの評価を気にしていない、命がここにある!それだけを感じる一瞬を感じた経験があります。今も風に吹かれる時はそんな感じです。犬を見てみても風に命を感じているのか体全体で何かをキャッチしている風を感じます。

自分が自分を信じる。ということは誰にもあると思うのですが、それは脳と身体と意識との統合をした時かもしれません。しかし、それにプラスして命の大切さや驚くほど自分がすばらしいと思うような時は自分の元々持っている人間としての活力を感じる時ではないでしょうか。

わたしの元々の発想は、そこにあります。元々の思いもそこにあります。どうも心身ともに健康ということでは足りない感じがしたので、何か不全感があるのかと思った時もありますが、そうではないもっと自然との対話をするなど調和的感覚を身につけている自分をどうにか感じたいと思ったと思います。

そして、今、調和的感覚は非常に鮮明な聞き取りをする自分になったので、ここまで来た意味は自然との調和の美しさを求めていたのだと思います。

そこで言うと、本当は気持ちの上で、さらにはお父さんやお母さんとの関係の中で、感じた諸々のことに対する自然発生的な思いなどそれは捨ててしまいたいとか、それはなくした方がいいとか、そんなことがこれまでのわたしの中の情報の整理にはありましたが、でも、そこではなくて本当に必要とする時間と空間の認識としてはただ生まれた時のしあわせをもう一度感じ取る力を自分に取り戻すことだと思います。これが本当に大きいオパの考えです。

とすると本来の自分との対話ができたらいいのかと思うかもしれません。そこでもありません。本来の自分とはまるで時間と空間の認識のずれを感じている今の自分からの発想の言葉であるとしたら、そこじゃなくて今も持っている自分の活力を思いだすこと。そこが大きなポイントです。

これは自然との調和ということでいうと、わたしたちには世代を超えた思いがあると思いますが、そこにはある一定のルールと言いますか、すでに色んなたくさんの人が作った常識的発想もある中で、それは人間生活をするにあたっては必要です。そこは人間の生活の中でみんなで平等に!とか、人は信頼できるものである!とか、そんなことを思うため、、、ではないと思いますが、でも、なかなか調和がとれない状況であっても、1つ何か、”みんな!こんな考えでいこうね!”的なものがあるとそこに焦点を定めることができ、誰でもが”OK!”と思える状況ができるのかもしれません。

そうやって人は人と上手に付き合っているし、それが本当に自然な動きだかとも思います。

それを超えて、人の大きな発信源がもっと違う所にあるとしたらどうでしょう?

1つの焦点を誰かが作ったとしても、それに加えて、その意味、そしてその理由、それからしなければならない状態をわかることができれば、それはいいと思います。1つの焦点がもし1つの規則的発想になってしまうのであれば、それは計画として1つの全体の調和はとれると思います。でも、そこが最もしあわせなものになるかは疑問もあるように思います。

もう少し人は人としての自由もあるし、人が人として生きようとする時の命の尊さを感じることもあればそうでないことを感じることもあると思います。だから、人としての大切な生きようとする力、これが本当に大切でかつ誰にもある人間存在としての力。そこを上手に見つけていけたらいいなあと思います。

絶対はない。だから、絶望もいらない。それは自然との調和は生まれた時から死を迎える時までずっと続いています。その調和によって生む自然の力が備わっている人間としての存在。それを見つけていくことが本当のしあわせだと思います。そして、それを見つけた時の”しあわせの鐘”はどこでも自由に自分で鳴らすことができます。今も!そしてこれからも!

さてさて、今日はDC(Dog&Cat)セミナーを開催します。こうしたことを踏まえ、動物とのコンタクトをしていく方法をみなさんと共有していくことで、人としてのバランス、または動物対動物としての共鳴など、様々なことを感じ、そして理屈ではない信頼という言葉でしかできない思いを持っていくそこを上手に引き出していきたいと思います。

では、今日こちらに来ていただくみなさま、お待ちしています!