心という言葉はどうしてあるのだろう?と
思った数十年前。

ふと、ある意志を感じた。

例えば、楽に生きたい。
疲れないようにしたい。
じゃあ、どうする?と考える。
あ、そうだ!と思いつく。

そうして、そこから自分との対話が始まった。
もともと独り言が好きなわたし。
だから、慣れていた。

違うのはテーマ。

現実を目の前にして
その事柄について独り言を言う自分がずっといた。

その独り言は、
音楽に合わせて体を動かすのに似ていた。

そして、それが楽しさを生むことも知っていた。

が、外界からの要因が何もないのに、
自分が何かを探した時に
ふと思いつくことがあると知った。

そのひらめきのようなもの。

それは自分の中からやってくるのか、
または誰かと交信しているのか、
または脳のしくみの1つとして
当然あることなのか、
その時はわからなかった。

そして、今、
そうなんだ!と思うようなことが
自分の中からの言葉として思いつくのを
「ひらめき」と呼ぶようにした。

つまり、ひらめきはただの考え事ではない。

考えことは常に自分と対話すること。
そしていくつかの自分との対話を
整理すること。

それは考える時の思考回路の整理をしているのかな。

そこじゃなくて、
ひらめきは考えることとは全く正反対のこと。

ふと感じる、、、みたいなことに似ている。
でも、その時の「ふと」は全然「ふと」じゃないことも
わかっている。

脳のすばらしいスピードの速さで
一瞬にして答えを得ている。
そんな感じ。

ある程度のことは大丈夫。
それ以上になるとひらめかない状況があるとしたら、
高速になりきれない事情が脳にあるらしい。

そうなると、脳の整理をすると
高速ひらめきは必ず自分の中に出る。

そんなことを感じた今朝。

新緑の美しさと同じように
古い葉は自然に土に還り、
新しい葉が生まれる様子に似ている。

新緑の美しさに人が魅せられるそれは
自分の中の新緑を楽しんでいるのかもしれない。