子どもの1人の内面を知りたくてカウンセリングから始まり、リーディングという手法も学び、それからしっかりした整体についても構築していった先に何があったかというと人間のシステム的配慮をする確認作業と、それにまつわる方法論の確立だった。

その意味でいうと、人はとても強い意志と意識と無意識の統合した存在であるということを見抜き、そこにのみ意識を向けたことで人の大いなる生体系の元になった不思議な迷いはどこから出るかなどもわかったように思う今。

そうしてそこにある存在の理由は、特に思い出との簡単なつながりにおける事柄は、癒されるとか癒されないとかの言葉で表現する無意味な羅列によるものもあるけれども、実際はそこには気とか霊とかの問題もあることも知った。

とてもいいとは思えない角度。

そこには発信源を持つ自分はいない。楽しくない。でも、実質上はそこにある常識的発想の前にある先祖や元々持つDNAと言われるものなのかもしれない細胞の基盤の状況にまつわる問題があることもある。

そこを上手に解決することから始めると人間の様子はとてもいいように思う。

でも、そこではなく身体症状の解決にのみ特化した医療というものについて果てしない模索を続けることは、意志的発想による問題の解決にはなるが、とても辛い気持ちの裏にある血管の収縮、その裏にある神経の弱さ、その裏にあるホルモンの治癒していない発想のようなもの、その裏にある自律神経を動かす問題、そしてそれを率いている脳、さらにはエネルギーなどの細かい治癒はその領域にはない。

そうなると一体どうやって人は元気になるかは人それぞれ。人がどのようにして生まれ、育ち、さらにはうんちくを聞きながら学習してきたか。そういうバックグラウンドによるもの大きい。

だから、一概に言えることは何もない。だからオパを使うといい。

オパは、人の性質はこうであるという断定もなければ、それがどこに端を発したものであるかを見つけ、そして見つかった部位の訂正をし、そこから次々とある霊のようなものにまで関心を持ち、カチッとその人が元々の性質を取り戻すために努力をする。

努力は、セラピストやプラクテイショナーがやる。当の本人は、ただそこに座っているか横たわっているかでOK.

こんな簡単なことは世の中にはない。なぜなら障がい者的なことを理解するにあたって、そこには困難があって、その困難は今の世の中にはわかっている人がいないと思ったそのわたしは、自分でそれを解明しようと思った。

そして、ついに解明は終わった。

だから、今始まるオパの楽しさ。

まずはそれを伝えていくこと。楽しい!と。

そして楽しさはまだまだ続く。

いや、これから!