晩秋の訪れ。この写真から数日してもう一度ここを訪れましたが、すでに様子は変わっていました。激変ではありませんが、少しづつ音を立てて変化する葉の様子は、わたしたちの元気の「気」の様子に似ていると思いました。

元々わたしたちには元気が備わっています。そうして、元気であることをよしとするわたしたち。

そこをちょっと、もうちょっと自然にすると「健康」という財産を持つことができるかと思います。

財産とは元気をキープできる意味での財産。

元々わたしたちは「気」を元にした存在ではありません。わたしたちは元々もっと素敵な自分らしさを発揮するような活力を持っています。

イチョウでいうと幹の部分でしょうか。

幹はある時に不自然な状況(人間でいうと病気)を起こすかもしれません。しかし、根っこは大地に根差しているため少しのことでは幹全体がダメになることは少ないと思います。ここに映っているいるイチョウは樹齢400年のイチョウでした。

ところで、この幹が活力を持つ大地との関係において、また気候による太陽の日照時間や空気の動きとの深い関係において、ここまで生きているということ。わたしたちも同じだと思います。

葉っぱは、特にアッという間に落ちるかもしれません。それは自分を守るため。自分を守ろうとする環境とのすり合わせ。それを知っているのは幹だけではなく、枝も葉も同じように環境に合った状況を示していると思います。わたしたちも同じだなって思います。

今回の日産の事件。同じことかと思います。根っこにある上層部の解決できないでいた過去と未来の統合による腐敗。それは誰にもあるもので、それが表に出た事件だったと思います。

今、そういう時。

なので、自分だけではなく人もそうですが、それと同時に社会との関係も同じように少しでも元の活力を取り戻すようなことが今起こっているように思います。

そうして、活力は元に戻ります。

イチョウからの社会の考察でした(笑)