学校
娘が小さい頃、彼女の学校を探していました。でも、なかなか見つけることができませんでした。わたしの方向が定まっていなかったからかもしれません。そうして、今、こうした学校があることを知って、その時から始まっていたであろうこの学校にも行き着かなかったことに焦燥感のような気持ちを持ったあの時を思い出しました。そして、誰か何かを探している人がいたら、気持ちの上での安心と安堵と、それからやっぱりすごい変換の時なので、こんな学校があるといいな♪と思うため、ご紹介します。
わたしがここ星の降る里リトリートハウスを創った時、わたしは全く霊視など手の届かない所にいて、でも、何故かそんなタイプの方が次々とこちらにやってきて、まるでお告げのように色々なことをわたしに言い残して帰っていかれていました。思いも寄らない事実とは反するその言葉に驚きと同時にわたし自身、とっても違和感がありました。
そうした経緯を経て、今の【オパ】があります。人から聞かれていないことには答えない。答えない前に自分もわからない。そういうシステムも中に入れています。そこは情報というものの大切さ、それに踏まえ自分の時間の範囲を超えたことは人に何か将来のことを教えてもらったとしてもそれは限界があり、また限界は侵入をされたとも感じることがあると思っています。
そうなると人の大きな霊的なものは実際には役に立ったとしてもある一部の人にはいいかもしれないけれど、多くの人には迷惑なことにもなりかねないとわたしは思いました。
本題からそれましたが、その時この場所には”子どもがいっぱい集まってくる。学校みたいなものができる”と複数の方から言われていました。わたしはそんなことは思いもよらないことで、しかも上質の情報なのかもしれないそこにはわたしの手の届く範囲ではなかった状況でした。
そして、今、こちらは「脳の整理をする大人の学校」になっています。そこで思うのは子どもの頃の思いや複数の教育から得た知識の深さと実際の脳に与える影響を感じます。
そういったことを経て、今のわたしはこのようなことをみなさんにご紹介するわたしになっています。ご紹介する学校はわたしは体験していませんで話を聞いただけですので、これがどのような意味を持つのかわからないし、それを体験した方たちの感想とそこに関与する方々の思いの深さには届かないものなのですが、こちらを紹介するわたしがこのチラシから読み取ったものをここでご紹介することは誰かの参考になるかもしれませんので、書いてみますので興味がある方はお読みくださいね。
「長い間クネクネした迷子になった子どもたちがいます。そこにはある情報の質の悪さがあるように思います。それは時とともにすごく強くなっていくために必要なことを教えることはそれを必要と感じた大人たちがしっかりと手を握っていける範囲の世界の中で繰り広げるべきことであると思います。それはわたしの勝手な想像かもしれません。でも、その1つの思いが実をつけることがあって、その実が1人の人に食べ物として有効ならばわたしはそれをやりたい。そしてやることで人は人としての実のりを実感し、その実感したもので社会に貢献する何かを得て、その貢献がしあわせや喜びを感じ、その感覚が自分を、そして人を、そして社会をもキレイなものにする、気持ちのいいものにする、それがこの学校の自然派の特徴です。さらに自然派以外の部分でもたくさんの情報を持っていますが、でもしっかりとした理念を持っているので、必ず人は人としての動向をすることがよいと理解し、さらにはそれらの人たちの活動がよい相乗効果を生むと信じています。」
こんな感じです。わたしの中にある情報の質のよい部分もきっと加勢している情報かもしれません。でも、人はこうして情報の質の変換をすることがあったとしてもそれはある意味、大人としての世界観を大きくする以外の何者でもなく、人は多くの場合、色々なことに関わっていってそこから次の自分の本当の関わりを持つことにもなるし、それがしっかりしたお互いの仕事につながっていくのかもしれません。
わたしがコーヒーが好きならばコーヒーについても書くのでしょうが、わたしは本当はお水が大好きで、かつ仕事の時には地のエネルギーを大きく自分に取り入れたいために日本茶をよく飲みます。日本茶は大人としての自分を作るというより、本当に必要とする自分の力を表層意識や顕在意識に上らせてくれ、それがサラッとした形で表現するように手助けしてくれると思います。わたしの日本茶好きは幼稚園くらいからです。でも、その時ももしかしたら仕事はしていませんが、わたしの回りの宗教者で作られた環境をそうでない状況に自分で変換をかけていたのかもしれません。
今日は長くなりました。とても楽しい1日になるといいなあと思います。
子どもの学校選び。本当に大切にしたいです。可能ならですね!