指針
指針というのは、
いつ・どこで・誰が・何を・どうした。。。
みたいなことを
自分はどこで読んで
どこに着地するかですが、
わたしの場合は、
すごく丁寧なリーディングツールを持っているため、
知らないうちに相手の方の大いなる意識をも
リーディングすることが多いような気がする。
それは辛いことも辛いこととしてではなく、
また、それに対する抵抗感にも増して、
いい状態にすることを願っていることに着目する。
そうなると、どうなるかというと、
不平不満的発想は知らないうちに感情の扉を開け、
知らないうちにわたしがぐっと飛び込んできた
それを受け取る。
一瞬のこと。
止められない。
あ~あ、これこそ指針の間違い!
自由とは、
不快なことは不快だとすること。
その自由という最善の方法に対して
抵抗するのは何故か?
自分の指針の強さと人間への興味。
それが大事なことと思ってきたこれまで。
しかし!!!!
今の時、すばらしく空気が軽い。
軽いというのはいいことのようで、
でも、そうではない。
軽い=自動的なリーディングができてしまう。
それはある意味、
その指針に従って、
一瞬のうちに解読できてしまい、
あっ!と思った時は
「すでに時遅し」
あ~あ、ということで
一旦扉を開けてしまうと
そこからは引き返せない。
そうだ!
今日は、その指針をはずしてみよう♪
そうすると、知らないうちに
あっ!と思うような感情を読むことはないかもしれない。
ただ、この指針、やけに強いぞ!!!
困ったものだ!
何をしたいのか?
ただただ人へのサポートをするというのではなく、
意識と無意識の統合をすることに
精を出していたように思う。
もうそれはしないでおこう。
なぜなら、人は自由だから。
それをしたい人。
したくない人。
だから、意識と無意識の統合をするという指針は外そう。
そう、それがいい!
断然いい。
希望という名の自分の思いがあるとしたら、
それはなくしてみよう。
今日はそんな1日。
楽しいこともあれば、そうでないこともある日々。
それでいい。
それがいい。
そして、その時に応じたことができるといい。
そう思う今朝。