心って一体なんだ?

心って一体なんだ?人間の中にある思いや俯瞰する気持ちは「心」という言葉で表現するものなのでしょうね。でも、それがそうだとすると変な噂話や人との交流に際に感じるいや~な感覚がもしあるとしたら、それはなんでしょう?

それを「感情」と言うとしたら、「心」と「感情」の違いとはなんでしょう?

わたしはいつも何かをしていることで気を紛らすことが多いので、特に人と一緒にいない時は仕事をしたり掃除や洗濯など毎日の生活のことをしています。それは日々の生活の大切さを知っているとか、それをするのが当然とかそういったことではなくて、ただ身体を動かしていたり頭を使ったりしているととってもす~っとするからです。そう、シナプスが動いているのかは実際はわからないですが、きっとそうかもしれません。そうして、どこかの瞬間で”やったね!”的な気持ちになり、終了!の鐘がなり、1つのことは終わります。

そうなると自然に感じる癒された感、それと同時に必要なことをした達成感など、様々なことを感じ、”いい1日だったなあ。。。♡”などと感じる日々の夜のような気がします。

誰でもそうだと思います。人は人と一緒に考えたり動いたりするけれど、ただ寄り添うとか、ただ思うとか、ただ真剣に話を聞くとか、そういったことはすぐに自分への成長をきたすように思います。人はそういって日々を生活するのが「生きる」ことかと思います。

だから「心」というのは自然発生的なもので、外と中の一致感のように思います。一致感があれば神経も緩んだままいられます。だから言い方によっては「心」を強く感じる時は神経が荒れている時なのかもしれません。

そして、「感情」とは不信感もそうですし、迷いもそうですが、「心」のさざなみを言うのかもしれません。それだとさざなみは神経のさざなみといってもいいのかもしれません。

わたしは元々、色々なことを感じやすい性質なので神経はかなり動いていると思います。しかし、「心」のさざなみみは特に感じないで過ごしているように思います。

それは、人と「感情」を重ねないことにしていますし、人との接点を「心」としないことにしています。

「心」や「感情」のブレは大きく2つから成り立つように思います。仕事の時、家族との団欒。どちらもいつもの生活の中で起こること。だから、毎日の生活に必要なのは自分の立場を守ること。仕事の立場を考えて、家族との団欒の時を考えて、発言する。その場を知る。その時を知る。それがいいのかもしれません。

今日は、色々な時や場所において普通にしている自分をちょっと見直してみるといい日かもしれません。やってみてくださいね♡

そして、そんな風に日々の自分を見直してみたい方は、まずは自分の未来に焦点を当ててみること。どんな自分になりたいのか、どんなことに興味があるのか、それを知ることも1つです。それが引いては今の自分の見直しにつながります。

すばらしい自分を創造したい方にはこのやり方は向かないことかもしれません。なぜならすばらしい自分はここにいる。そして、そこをどのように表現するかがポイントだと思います。

表現のポイントは、心の使い方と脳の使い方と、それからエネルギーの使い方を知ること。これがわかると随分生きやすいことになると思います。

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