現実を生きるには
バラの美しい季節ですね。
毎日の生活の中でのこと。
わたしは生活をするにあたって
ひどく気を使う性質を持っています。
その気質は精神的な重さを持ったことによらず
魂との関係もなく、
ただ幼少期からの生活環境でした。
そしてある時、
家を離れてたまたま女の子3人で
共同生活をしていた時、
”そんなに気を使われると疲れるわ!”
と言われて、
ホントにホントにビックリして
自分の性質を知りました。
わたしの家庭では普通なことをしているだけ。
誰かがご飯を食べていたら
お茶をついで差し出す。
ちょっとこれあったらいいなあと思ったら、
それを差し出す。
これ、当たり前でした。
ですが、それを拒まれたショック!
はじめて外の世界を知り始めたときでした。
わたしが育った環境は、
重たい家庭の規律があったのかと思います。
確かに”すべては家長の言うとおり” みたいな、
家庭は社会の縮図だからと教えられ、
ずっと家長の言うことに従わされていたと
思います。
それがスムーズな家族関係のルール。
疑問を持つこともなく、そうしていました。
こういうことって案外、気がつかないもの。
その世界にいると。
そして、重たい規律の中にいた
その頃のわたしは友人にこうも言わていました。
”あなたは無色透明ね!”
無色透明!ん?意味わからん。。。と
思って尋ねてみましたが、
”だから、無色透明って言われて
何も感じないで素直に、
それなあに?と聞くあなたはバカに近い”
という答えが来ました。
忘れられない出来事です。
まあ、今日も1日無色透明で生きていきたいと
思うわたしですが、その時の無色透明とは
違う自分色としての無色透明になってみようと
思う今朝です。
ある日、突然舞い降りてきたリーディングの手法。
でも、それは自分の中からの言葉だったと気づいた時、
ふうん、、、と思うより、やっぱりね!という
気づきを感じたそれをわたしは大切にしたい。
人は色を持っている。
その色は単純な色もあるし複雑な色もある。
その色を尊重し、さらにその色を1つ1つ見分けていく作業。
その作業は楽しい。
色は様々な人との縁をつなぐ。
その縁はどこまで広がるのだろう?と思うと楽しい。
自分色を知っていること。
自分色を放つ時を知っていること。
自分が自分を表現する表現者として
何がしたいかを知っていること。
そして、それができる環境を持つこと。
こうしていっぱいのことを学び、
自分が実際やることをわかる時、
人は大きな安堵と安心と安定とそして
マドンナみたいな自分を感じるのかもしれない。
人は人。
自分は自分。
社会は社会。
そして、その統合された自分を生きるコツ。
それは自分の健康とそれにふさわしい環境づくり。
みなさんの環境は自分に合っていますか?