孤高の精神というのを持つことになった理由がある。
それは楽しさを倍増するためだった。

それはそれは信頼する自分との出会いを確認し、
さらには、
ちょっとしたことに驚かない自分を作ることだった。

そして、普通になっていく自分を感じ、
しっかりした自分も一緒に付き添わせる。

そんな感じの自分になりたいと思っていた。

しかし、

事情は違った。

最も困難だったことは自分にベクトルを向けてしまうと、
色々と困ったことや嫌だったことも思い出される。

あれ?

違うぞ!という気持ちが出た。
そして、それじゃあ、どうするの?と考えた。

結果、

自分が自分を裁くようなことをするくらいなら、
自分との対話の後に確認できる
ヒントやアドバイスもいらないや!と
大きく出た♡

そう♪

それが始まりだったな。

そして、

それはもう終わった。

必死でいろいろなことを想定し、
さらには問題はないと知る楽しさや
おもしろさ!

それって、黄色い花を見て、
どんなに素敵な花かを感じるのではなくて、
単に色遊びをしている感覚に似ている。

いや、そこじゃない。

触れた時の感覚やそれを見た時の感動を
知ってみるそれはいい。

待ち望んだその時はやってきた。

それは楽しさだけではない
生命の尊さを感じるその自分の象徴となる
自分の大切さを知るそこ!

そうなると、絶対的な存在はいないと知る。

絶対的な存在はいない。

楽しいこと、嬉しいこと、しあわせなこと、
そして喜びに満ちた自分を知ること。

それにはやはり自然との調和をすること。

信じるとか信じないとかじゃない。
感覚でもない。

見えないものを見ることでもない。

楽しいかどうかを基準にした生活。

その生活はとても貴重。

その貴重な生活をするまでに数年、
いや数十年もかけている自分。

あまりにも長い年月。

でも、それでいい。
それがいい。
そうしていたかったから。
だとしたら、人生は楽しいしかない。
自分がしたいことをすることになっている。
そのしたいことは自然に毎日の生活の中で
感じていること。

だから、本当の自分はたくさんの常識とか
迷いとか惑いとか、不安とか信頼できないとか、
そんなことは一切ない。

すべては自分が作っている世界。

その世界を通して、
毎日が澄んだ状況になる。

その状況は、今の自分が作っている。

そして、それが数年後、数十年後に
花が咲いたように現実になる。

それはそれは長い年月。

だったら、いっそのこと、
丹田にある浄化されない感情を捨てる作業を
トントンとして、一足飛びに自分を思い出す作業に
つくといい。

それって、オパでできるから。

じゃあ、そのオパって何だろう?と
思う人に向けた本を書こう。

きっと、書くといい気がする。

なぜなら、本は手に取ることができ、
さらに何度も読むこともでき、
それが何故か自分の感情の趣によって
開くページも違えば、
それを読んだときに受け取る感情も違う。
その本は今日の日を境にできそう。

さあ、スタート♪♪♪