外の空気感
わたしの中にある小さな出来事の中に
小さな時の一幕がある。
その時、わたしは小学生だった。
その小学生の時のわたしは
お茶目で、かつ信頼する自分を知りたいと
一生懸命に頑張っていつもお仏壇にお祈りをしていた。
その習わしについて
わたしは知りたいとも思わなかったが、
でも、それを知ることによって
広い視野と視点とまだ見たことのない世間真っただ中の
地球という所にある情報を知った。
というのは、
悪い霊があるんだよ!とか、
過去に思いを残して死んだ人は還って来るときがあるよ!とか、
そんなことを当時一緒にお仏壇にお祈りをしていた
おばあちゃんが教えてくれた。
へえ~。。。。
というだけで特に何も思わない。
でも、こうも言った。
ほら!ろうそくの火が揺れるでしょう?
あれはご先祖さまが、わたしたちが祈ることで
喜んでいらっしゃるんだよ!
とてもビックリした。
そして、思った。
ただの空気の振動じゃないかな?
あ!おばあちゃん、
あれって、風が吹いただけじゃない?
すると、おばあちゃんは真剣に言った。
そうじゃないよ。
そんなこと言うとバチがあたるよ。
ほら!せっかくあんなに喜んでいらっしゃるんだから!
ふ~ん。。。。。。。
とてもわからなかった。
でも、そうかな、とも思った。
結果、今は風の振動数によって
人は何かを感じ、何かを読み、何かについて
話す人もいると思う。
それは霊媒的なことではなく、
かなり崇高な感覚を持った人によく見られる
感情の亀裂に入り込んだ困った事柄が
知らないうちに脳のある一部になだれこんで、
それを社会と自分の統合的判断にしようと思うと、
何かが見えたり、聞こえたり、するのかと
思う今日。
わたしには、わからない世界。
そして、わたしがしていることは
脳とエネルギーの遮断と利用して
何かを読む作業を行っている。
つまり、脳には遮断はあるが、
エネルギーにも遮断はあるが、
でも、そうではない確実なものが
人間の根本としてあるという姿勢。
この姿勢こそがある程度の理論を持つことが
できると思う。
そして、それによる解釈も可能。
だから、わたしは人へのサポートをすることが仕事かもしれない。
わからない波動のようなもの。
そこにある情報の質の説明、
または本当に知りたいことは何かを
丁寧に知る作業。
この作業はとてもいいことに後でつながる。
なぜならば、人は自分を知っていく中の途中に
探すだけ探している場面において
自分を客観的に知ることは難しい。
そういった時に年長者が、すでにそこを通った
年長者がそこを見て説明してあげることは
とても有効なことだと思う。
なぜなら、そこには答えしかないから。
なぜなら、そこには指針はいらないから。
なぜなら、それを見つけるのが人生の旅だから。
そう。その旅の1つのヒントでもいいので、
年長者が何かを知っているとしたら、
それは教える価値はあると思う。
これは、わたしのように
みなさんが見えないと思う世界を
あれこれと知った人の課題かもしれない。