わたしはただ一人生まれてきたけれど、そういうことを実際にわかっていない。

わたしは母の胎内にて大きくなったけど、そういうことは実際に覚えていない。

でも、わたしは死という場面において母との会話は覚えている。

母はわたしに”元気でね”と言い、わたしは母に”そうするね”と言った。

そうして今、わたしは母と一緒に過ごした人生を終え、また一人になった自分がいる。

そういうことは誰にもある。でも、誰にもわからないこと。

人はそうして色々なことを考え、実行し、さらには覚えていること覚えていないことを通して人生を歩いていく。

さあ、もっともっと広く鮮やかな日々を過ごしたい。そう思う今日。

ふと、朝感じた色でいうと、あまり変化のない色がこれから始まるかもしれない。

だから静かに生きることでわたしはこれからの自分を見ていく。
さあ、気持ちは前に向いて、かつ静かな人生の終わりに対する警戒心もなく、ただ歩いていくだけ。その日、わたしは思うのは単純でいいということ。ただ生きようとする自分に拍手を贈ること。ただそれだけが人生を生きるコツかな?と思う。

いつも人生のそばには誰かがいてくれる。それはもしかしたら自分なのかもしれない。人生はコチョコチョ歩いて行く間にす~っとしたマイナーな気持ちを持つこともあるし、そうでない時もある。でも、人生の中でいつも一緒にいてくれるのは自分。その自分はいつもわたしを応援してくれている。自分は何を応援したらいいか一番知っている。そう。愛とは違う応援の仕方を。その仕方は誰にもわかる自然体な生き方をする方がいいよ!って言う。

さまよう時、楽しくない時、いつもわたしは自然な自分を生きる。そうする方がいいから。仕方ないけど、それがいいから。突然雨が降ってくるようなことがあってもそれは大丈夫。仕方ないし、どうしようもないこと。だから、その時はしみじみ”大変だあ。。。”と思うといい。わたしは大変な時にはそう思う。

それはジャンプする前の踏み込みの時。頑張るしかない。そういう一歩はすでにある。何もしないでもいい。そういう気持ちはすべてのことに通用する。だから、いつも自然な自分でいよう。自分らしさって?などは考えずに目の前のことに集中していこう。それしかない。

そう思う時人は永遠のしあわせに触れ、そこから扉が開く。

目の前に集中する。

それ以外に生きる方法はない。だからとってもしあわせを持ちたいなら、しあわせにつながる綱を引き寄せるといい。それが自然だから。しあわせになりたいのにしあわせがない方に歩く必要はない。しあわせの方向は必ず自分が知っていることはわかっている方がいい。

そう。それは目の前にあることをただするだけ。