あ、ビックリしたぁ~
人って限りない努力を
好んでいるような気がします。
それというのも、
事実関係を知って、
それに対応することは無理だと思っても、
でも、やってみよう♪と
それに取り組む。
それっていうのは
とても難しいことを自分が覚悟をして
やってみようとする姿勢に似ている。
普通は、是非にも知ってみたいことって
自分が知りたい!と思うことが先だから、
そのヒントは必ず自分にある。
だって、自分が知りたいことは
自分が知っているのを引き出したい!と
いうことにつながっているから。
でも、自分が知りたいと思っていないことも
知っているはずだから、、、と
自分から答えを引き出そうとすると、
努力がいる。
そんな努力いるのかなあ?
気持ちはあるけれど、
自分の才覚との差があるような場合、
それは無理をしないこと。
それはとても重要だと思います。
昨日、おもしろいことがありました。
それもいくつも重なりました。
ん~、わかりやすく言うと、
「不確かなことを確かにするコツ」
のようなものがわかった体験が複数でした。
その1つですが、
数日前から現実的にわたしがやる必要があることが
目の前にやってきていました。
やれそうだと感じました。
なんせ、「必要は発明の母」と思っているわたし。
考えました。ネットで調べたりもしました。
でも、わかりませんでした。
結果、おそろしいことになりました。
複雑な思いの穴に入ってしまいそうな気配!
これはヤバイ!と
誰かに聞いてみようと思いました。
そして、聞きました!
わかりました!
適材適所という言葉があるように
人を選んで何かを聞くのは大事だなことと思いました。
20分くらいで返事をもらいました。
自分に聞くことを教えているわたしですので、
自分に聞くことは、とても大切なことと知っていますが、
その範囲というか自分のわかることと
わからないことを分ける作業。
それもとても大切かと思います。
そして、わからない時は
人に聞くのも大切なことと思いました。
ここの宿泊棟を作った時の部屋の調度品を
揃えるときも、普段買い物をしないわたしは
どこに何が売ってあるのかよく知らない。
その時、現【オパ】(意識と無意識を統合した自分)
に聞くと、「○○さんに電話して聞いてみたらいいよ。」
と教えてくれ、早速電話。
すると「あ、それね、○○に行ってみたら?」と
教えてくれ、次の日にそこに行って
1時間ほどですべてを揃えた経験があります。
ふわふわ妄想は終わっている今の時代の動き。
妄想の代わりにするのは
自分がわかる範囲なら自分で聞くこと。
自分でわからないなら代理をしてくれる人に頼むこと。
代理をしてくれる人は、
相手に答えをあげたいと思っている人。
代理をする本人が知っていることを
ただ喋る人じゃなくて。
もし、わたしが聞かなかったら、
困難を感じる難度性が高くなっていたと思います。
難題になる前に人に聞く。
それがいいですね。
もうそんな時代は始まっています。