令和における心臓の再生について


〜写真:福岡アセスメントセミナーを支えてくださるお二人と、中央はわたしを日々支えてくれる娘 新緑の中🌱で〜

ある日、わたしは
愛に寄り添うことがすばらしい
と思いました。

そして次に、
愛を基準にするわたしは
偵察をする自分を見つけました。

それは愛についつい特化した時、
わたしは人を愛しているのか?
または
人にわたしは愛されているのか?
ということが人間としての役割のように感じ、
生き方についての疑問のようなものに
出会いました。

そして、わたしはそこから
愛をものすごく強く学びました。

愛には何があるのか
知りたくてたまりませんでした。

そして今、
わたしは愛とは人間そのものではなく
人としての生き様
または
人が第三者に対する行動や言動、
それが愛を物語っているのだと理解しています。

わたしは愛についてより深く学ぼうとしました。

その愛は自分の行動言動をより良い形で
自分を促し
人を促し
社会を促すことで
さらには素晴らしい人生を
謳歌することだという認識を持ちました。

それで平成は終わりました。

さらに今日、令和と言う時代に入り、
わたしにとって必要なのは
脳だけではなく
心臓や肺の強化とともに
身体全体を脳としっかりつなぐことで
「体」の健康が成立し
さらには愛を実践するにあたり
すばらしいとという認識を深めています。

なぜならば、
人は悲しみや苦しみを
細胞に置いてるからであり、
それ以上に何かを確認する必要はなく、
ただただ細胞の基本的な調子を
良くすることにより
見えない環境を探ることを必要としない。

だから、
細胞を整理整頓しさえすれば
猜疑心など、そんなものが
すーっと消えていくと
わかっています。

ですので、
調子を整えていくために
じゃあ何をするかと言うと、

大体において必要な事は
脳で全てがコントロールできることを
これまで学んできましたので、

次に、
心臓と肺の強力な動きを
ドンドンと大きくすることが
素晴らしいのではないかと
感じています。

そこからすると、
愛という行動が言動が
人との関係において
どれくらい力あるものなのか
ということが
これからの実験になっていくのかと
思っています。

愛を、「行動」と認識した場合、
行動が必ず伴うものは動きであり
動きをさせるものは脳であり
その一致したものを動力と呼ぶとしたら
その動力をどこに見る見つけるのか
それがポイントであるように思います。

動力とは
エネルギーでもあり、
エネルギーだけではなく
意志にもよります。

例えば、
わたしが強くエネルギーを動かそう!
と思ったとしても
そのエネルギーを動かそうとする自分の意志
それがなければ動くはずはありません。

わたしにとって必要なのは意志とエネルギー。

この意志とエネルギーを合わせたものを
動力と呼ぶのであれば、
わたしには動力はあります。

そして、その動力は
今自分の力のみなぎりを感じています。

この令和の時代、
そこに特化した皆さんへのサポートが
できていくことになると思います。

それはわたしがこれまで研究してきた
諸々のことが本当に必要な時を迎えた
という実感を私にくれると思います。

とても楽しみです。

〜令和を迎えた日に🌱〜

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