無意識というプレゼント💝

佐賀空港近くのコスモス畑 300万本

小さな頃、高校の卒業アルバムの一言メッセージ
「わたしが大好きなもの」に
コスモスと書いていたことを思い出す。

ふと世界に今コロナが流行している時にも
自然は変わりなくこうして美しい花を咲かせてくれる。

本当にありがたい。
本当に美しい。
本当にしあわせを感じる色。
本当の楽しさを味わせてくれるとりどりの様。

わあ〜って、しあわせ〜って、
叫びたいくらいのやさしさを感じる。

そして、今、不安と未来との双極の時代。

楽しいとか楽しくないとか、
そんなことに興味を持てないかもしれない。

でも、そんな時だからこそ、
自然に戻ってみたい。

そんな時だからこそ、
今を楽しみたい。

こうして、咲いてくれている花たち。
さえずっている鳥たち。
周りを見るといろんな自然があることに気がつく。

わたしは、すごく頭デッカチで生きてきたので、
40歳をめどに、さあ、地球回帰しようと思い立った。

そして、今、こうして自然と話をすることができる
環境になった。嬉しい。

そうして、ここから次々とたくさんの方が
オパという1つのツールを持って
自分の世界に帰っていくその様。

とても嬉しい。
とても単純に楽しい。

それからもっと言うと、しあわせを感じる。

ず〜っと昔にはパソコンで仕事をすることが
できるようになる時代が来るから、
山に住みたいと、ただ漠然と思っていた。

そのず〜っと前には、
都会まで1時間〜1時間半くらいの
静かなところに住んで、
用事がある時だけ都会に行く生活をしたいと
思っていた。

あ〜あ、それは夢ではなかった。

こうして、現実になった。

ただ、用事がないから都会である福岡には
なかなか行かないけど(笑)

そんな夢にも似た自分の思い。

必ず実現すると、ず〜っと小さいころから
なぜか信じていた。

そう思うとそうなる。

それがそうだという理由も理屈もない。
ただ、そう思って信じ切っていた。
それがよかったかな💝

自分のことって、なかなかわからない。
でも、信じるということによる
自分の未来の創造。
それってできるのかもしれない。

わたしはそうやって、やってきたように思う。

その時、その時にかける人生の生き方。
それって、まあ大袈裟に言うとこんなことだけれど、
ただただ目の前にあることをするだけって感じかな。

あ〜あ(^◇^;)と残念がらないこと。
だって、かならず方法はある。
これって、ずっと神という存在を知っている環境にいたからかな?
それとも親からのしつけかな?

きっとどちらもかもしれない。

でも、どちらがあったとしても
それを選ぶのは自分。

だから、選ぶタイミングや選びたいと思う気持ちって
とっても大切。

それは何をしたらわかるのだろう?

嫉妬心のないこと?
ばかな自分を許すこと?

あ〜あ、どちらも違うような気がする。

丹田にある情報を執拗に追わないことかな?
それも違う。

じゃあ、なんだろう?

特に今はわかっていないかもしれないけど、
運命とかつては思っていたそこにあった
「無意識」という側面にある情報。

そこをどのようにして取り出すかはわかっていない。
でも、それがキー🔑だと思う。

いつも誰かに言われていたから、とか
不安でしょうがなかったから、とか

そういうことではないと思う。

人は人より優れていることを嬉しいと思うような癖があるとしましょう。
その癖って誰が教えてくれたのかわかりますか?

きっと、神さまか何かかな?
きっと違う。
でも、気持ちの上で自分を超えた存在にまで
意識を向けるチャンスがあるといいのかもしれない。

例えば、太陽とか月とか金星とか….

わたしは自分の小さいころのことはあまり覚えていない。
いつも犬と一緒だったことは覚えている。
あの時、あの子はこう言った…とか。

ある時の犬は、いつもわたしに教えてくれたことがあった。

それは楽しさだった。
いつもわたしを見ると楽しそうに笑っていた。
そして、一緒に休んでいた。
共に笑い共に楽しい時を過ごして、
そして休んだ。

休む時はその当時は犬を家で飼えるには
小さな犬だけだったので、ボクサーという犬種の犬は
わたしの部屋の外に毛布を敷いて寝ていた。

ある時、その子がバタバタとわたしの部屋の方に
上がってくる音がした。

フラフラになってわたしの部屋の窓を叩いた。
わたしは起きて彼を家に入れた。
そして、次の日、
「じゃあ、これから学校に行ってくるね」と言って
別れた。そして、家に帰ったらわたしの部屋で
眠るように死んでいた。

庭に骨を埋めてずっと一緒にいた。

そういった動物との対話もわたしの肥やしになっている
と思う。

今も2匹の犬と一緒に毎日を過ごしている。
朝になると起こしてくれ、夜になると
一緒にテレビを観る。
だから、テレビの内容はいつも犬好みの番組。

ニュースなんかになると、つならなさそうに
こっちを見て、「変えてくれないかな?」と
言っているような目をする。
仕方なく変える。

でも、その方が楽しい番組が観れるからいいことにしている。
そうやって知ったのは、結構動物の番組は多い。
ほとんど毎日のようにやっている。

ということで、無意識というプレゼント💝

誰にもある。
ただそれをどう活かすかだけだと思う。
それをもっと自然に、「動かしましょうよ!」と
強く言いながら、みなさんの承知する今行っている
無意識との作業をOKとしながら、
もっと楽しい無意識ってありますよ•*¨*•.¸¸♬と
すごく笑顔で楽しく伝えたいわたし。

そう。それが毎日の生活に快適さを与えてくれるから。

わたしは毎日どういう生活であっても
自分らしい快適さがあるといいと思う。

その時、その時に関する事例は色々。
でも、大丈夫👍

気持ちの上で、または本当に必要とする中で
人は生きている。

だから、何があっても自分らしい快適さを
感じて生活ができることは素晴らしい。

そのための元気と健康。
心身ともに。
脳も。
そして意識や無意識も💛

無意識というプレゼント💝” に対して2件のコメントがあります。

  1. ハチ公 より:

    マツ 久しぶり!
    こちらは 昨年からリサイタル辞めた自責や 
    追い打ちをかけるように夫の癌ステージ4の宣告。

    その時は 楽しいことは 何一つなっかたし
    ただ 一日の家事を終わらせることがやっとこさだった。

    そういう時 マツが何とかなるさ と言ってくれた。

    夫の最期までの 9か月密度の濃い日々だったと 今なら言える!

    最高の人に出会え 最期 力尽きる姿を一緒に過ごせたことは掛け替えない!

    看病に 専念できたことは 負に感じていたリサイタル中止があったこそだと思う。

    後になって 何がよかたかはわからない。

    結婚式の時 恩師が 「初枝ちゃんは 失敗を成功に結びつける 誠に尊い徳を持っている。
    それは ご両親のお陰だろう」と 祝辞を述べてくれた。

    その恩師も 86歳!
    先週 夫の報告がてら 横浜までレッスンに伺った。

    「深い悲しみを 音に託し 瞑想して お捧げなさい」と。

    少し認知症になりかけながらも 音には敏感に 
    昔からそうだったけど レッスンは 
    「自分をよーくみつめてね」

    「難しいパッセージでも 二つの音の連結だから 出来ない場所を見つけてそこだけやれば
    すぐ出来る様になるよ」

  2. ハチ公 より:

    「困ったときは デカルトの方法序説を読みなさい」
    とか いつも 哲学めいたレッスンだった。

    これから 一人になってしまったけど
    音楽という 自分と向かえられるツールがある。

    それは 両親がやらせてくれたこと。
    夫が 続けさせてくれたこと。
    友人たちの励まし のお陰。

    マツのお母様からも 子育てで大変だった時
    「秀様 秀尚 秀明さんと 同等に 音楽も大切に続けてね」と

    有り難う!!

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