しあわせの鐘がなる日

写真;近くの道すがらに咲いた白いつばき。

必要とすることについていろいろ学んだ頃が懐かしい。
人は「必要とする」ことがとても好きらしい。
特にわたしはそれが大好きだった。
そして、今はそれはもう手放している。
そうすると、とてもつまらない。
そんな風に思うこの頃。

大切なことや不満などについては
結構時間が解決してくれる。

本当に大切なことは1つしかないから。
不満はその裏返しだから。

そうなると、人は一体何を求めて生きるのがいいのか
わからなくなるような気がします。

ついでに言うと、
人と人とのコミュニケーションが素晴らしいとか
そういった平坦な道を歩いていくための
本当に必要なことは今もまだ求めてやまない。

ですが、しっくりいくのは
単に生きようとするその力は
単に自然と一緒に生きるのがいいかというと
本当はそうではない。

まったりした風を装うこともなく、
しっかりと自然な動きになるというよりも
まっすぐな歩みがいいのかと思う。

その時「必要なこと」というのはなくなる。

そして、大切なことや大事なことについて
知りたくなる。

まっすぐに生きようとすると
人は歩いている道は、
朗らかで、
かつ勇気があって、
さらには大いなる指針があって
そうして、許すという気持ちになるといい。

そんな気もするこの頃です。

大切なことはただ生きること。

それ以外にない。

だからこそ、人は勇気を持って生きようとする。

その時はそれでいい。
それが自然だから。
でも、一旦勇気がなくなったら、どうする?
一旦自然な自分がいなくなったら、どうする?

そう考えると、人は人としての役割や
モチベーションを思う。

でも、それだってもういらない時代になる。

そこにあるものはすべて人を通して学んだこと。

人からの学びと、人へのサポートをするだけ。

その一心同体で生きる世界観。

これはもうやめたほうがいいと思う。

だから、もう終わり。

社会においてのしあわせは
自分がここにいていい!という許可を与えられていること。
それしかない。

だからこそ、自分はここにいていいという許可を
得るために人は動く。

動いている間に人生をどのようにして過ごすのか、
それは人による。

わたしは人からのサポートを受けていないつもりで
頑張ったような気がする。

それは妄想かもしれないし、
それは大切なことに気がついていないだけかも
しれない。

バカなふりして、誰にも話さず、
結構苛立ちや不安などもおくびにもみせず、
楽しそうにケラケラ笑った日々。

もう終わろうと思う。

そして、人はこうして変化する世の中に合わせて
自分を表現するしかない。

わたしはそう思います。

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